Bとは今勤めている会社で知り合った。俺が入社した時、いろいろ面倒を見てくれたのがBだ。

Bの指導は大雑把なもので、几帳面な俺はかなり戸惑ってしまった。 
だが同い年であったことと出身地が同じであったことで、一気に親しくなっていった。 
俺とBは毎日ように飲みに行った。2人とも車が好きで、話題には事欠かなかった。 
だが、入社して半年ほど経ったころからBの付き合いが悪くなった。 
俺たちの関係はいたって良好だが、飲みに行く回数は明らかに減っていた。 
慣れない環境に居る俺に、気を使っていてくれたのだろうか? 
そういえばBは意外と酒の量は少ない。元々そんなに飲むタイプでは無いのかもしれない。 
それから3ヶ月程経つと、次第に俺たちの会話は少なくなっていた。 
俺からは話しかけるのだが、Bから話しかけてくることが少ない。 
あったとしても仕事の内容がほとんどだ。

何か悪いことでもしてしまったのだろうか? 
俺は他の同僚に相談したが、皆一様にBに変わった様子は無いという。 
以前は明るくて、毎晩のように飲みに行っていた…と説明しても、何故か皆そろって釈然としない表情だ。 
俺は理解に苦しんだが、考える時間は与えられなかった。 
というのもBが突然無断欠勤し、それから一週間もの間出勤することがなかったのだ。 
俺や上司は何度も連絡したが、その都度徒労に終わっってしまった。緊急連絡先となっていたBの実家の電話番号は使用されていなかった。 
心配になった俺は上司にBの住所を聞き、様子を伺いに行くことにした。 
昭和を思わせる古い木造アパート。敷地は荒れ果て、雑草が生い茂っている。 
Bの部屋は2階の一番奥だろう。錆びだらけの階段を上り通路を進むと、確かにBの名が記された表札があった。 
ドアの新聞受けは溢れかえっている。

親しい仲であったものの、こうしてBの部屋を訪れるのは初めてだ。 
俺は呼び鈴を押した。 
……… 
反応が無い。居ないのか?今度はドアをノックし、自分の声で呼びかけた。 
「B!居るか!○○(俺)だけど!」 
……… 
やはり返事は返って来ない。 
寝ているか、外出しているのだろう。 
「だが待てよ、何か重い病気で動けないのかも知れない」 
そう思い、俺はそっとドアノブを廻した。 
鍵は掛かっておらず、ドアは開いた。「ギギギギギ」と不必要なほど大きな音を上げながら。 
いきなり面食らってしまった。 
玄関は何故か泥まみれだ。奥のドアまでその泥は続いている。とても靴無しでは上がることは出来ない。 
暫く思案したが、悪いと思いながらも土足のまま中へ入ることにした。 
玄関を入ってすぐの所にキッチンがあり、シンクには並々と水が張られている。そこには小さな虫の死骸が幾つも浮かんでいた。 
何故か食器類は見当たらない。何だかよく分からないが、キッチンを見ていても仕方が無い。

恐らく1Kであるから、Bが居るとすればこの先の部屋か、トイレ、風呂のどれかだろう。
そう思いシンクから目を離すと、部屋へ続くドアが少し開いていることに気が付いた。 
隙間からは何も見えない。不気味な雰囲気が漂ってくるのは気のせいだろうか? 
「………」 
俺は意を決してドアを開いた。 
部屋の明かりは消えている。6畳ほどの広さ。カーテンから僅かに光が漏れている。 
何も無い部屋だ…テレビも、テーブルも、家具や家電は何も無い。 
だが…部屋の一角…ひときわ大きな、そしてドス黒い大きな影を見つけた。 
その影の主は、なんと2メートル以上はある巨大な朽木だった。 
それは小さな部屋には収まりきらず、天上を少し突き破っている。全体が黒く変色していて、ぐっしょりと湿っているようだ。 
下の方に生えたカビともコケとも判らぬ奇妙な植物が畳に広がっていた。 
所々に赤黒い布のような物が無造作に巻きつけられ、その上に見たことも無い字で何か書かれている。

「な…なんだ、これ?」 
この朽木の異様さも勿論だが、なぜこんな物がBの部屋にあるのか? 
よく見ると、木の左右には自然石だろうか…サッカーボール程の石が階段状に器用に積まれている。 
それは腰の高さほどで、一番上には蝋燭が無造作に散らばっている。 
他にも様々な仏具のような物が散らばっているが、その用途や名称は分からない。 
俺は部屋の明かりをつけようと、スイッチの紐を引っ張った。 
だが何度引っ張っても、蛍光灯は光を灯さない。 
突然、顔に何かが触れた。 
「うわっ!」 
咄嗟に手で払って気が付いた。薄暗いため見えなかったが、所々に小バエが居るようだ。 
不気味で巨大な朽木と儀式の様な形跡、不衛生極まりない部屋。 
一体Bの身に何が起きたのだろうか?

Bのことは心配だが、正直なところ俺はさっさと退散してしまいたいたかった。恐らくBは居ないだろう。 
帰りに風呂とトイレを覗いて、それでアパートを出よう。あとは警察に連絡すればいい。 
そう思い部屋を出ようとした時。 
「パリ」 
「!?」 
何かが聞こえた。 
「ペリ」 
「!!」 
まただ。木だ。朽木から音が聞こえる。 
もう嫌だ。こんなところからは逃げ出したい。 
しかし本心とは裏腹に、確認せずには要られない。きっと虫がいるのだ。そうであって欲しい。 
俺は朽木に近づき、目を凝らした。 
よく見ると、所々に大きな釘が深々と打ち付けられている。また気味の悪い物を見つけてしまった。 
そう思いながら朽木の表面を舐めるように見回していたその時。

「ヒィィィィ!!」 
俺は思わず声を上げた。 
目だ! 
木の皮の隙間から何かがこちらを見ている!目をカッと見開き、俺をじっと見据えている! 
俺は反射的に後ずさった瞬間、足がもつれて転んでしまった。尻餅をついた格好だ。 
「バキッ!ベキッ!メリメリ!」 
朽木の内側から不気味な手が這い出てくる。明らかに人間だ。 
この朽木の中に人間が入っていた。内部は空洞で、そこに人間が入っていたのだ。 
そして…見ていたのだ。ずっと…俺がこの部屋に来てからずっと。 
朽木の皮が次々と剥がされていき、薄暗い部屋の中でもその姿がはっきりとしてくる。 
そこに居たのは…なんとBだった。 
髪がほとんど抜け落ち、肌は紫色に変色している。顎がだらりと下がり、唾液や泡を吹きこぼしている。 
黒いムカデのような気味の悪い虫が、何も着ていないBの身体を這い回っていた。 
おぞましい姿ではあるが、Bであるとすぐに分かった。

「あ…B?…ぁあ…」 
恐怖で言葉にならない。 
Bの身体は所々出血している。あの釘が刺さっていたのだろうか? 
血走った眼球は、異様な速さで縦や横に動いていた。 
「フシュ!フシュ!」 
唾液を撒き散らしながらフラフラとこちらへ歩いてくる。 
「く…来るな!」 
全身がガタガタ震えて力が入らない。 
俺は尻餅をついたままBを凝視することしか出来なかった。 
もうBは目の前に居る。 
「グゥエ!オェ!」 
苦悶の表情の後、Bが唐突に嘔吐した。 
緑色のネバネバした液体にまみれた奇妙な物体が、俺の足元に吐き出された。 
今まで見たことも無い物体だ。知ってはいるが、知らないモノ。

それは…人間だった。小さな人間だった。いや、「人間の形をした何か」だった。 
それは無表情でじっ…と俺を見つめている。 
Bは自らが吐き出したその物体を暫く眺めていた。 
そして、ゆっくりとこちらを向き、満足げな表情で「ニタァ」と笑った。 
Bと目が合った瞬間、恐怖で気が狂うかと思った。 
いや俺は狂っていたのかもしれない。 
それはBのせいでは無い。無論Bも凄まじく恐ろしかった。 
だが見たのだ、その時、もっと恐ろしいモノを。 
Bの背後にある朽木の裂け目から「Bと同じ姿をしたモノ達」が這い出てくるのを。 
生存本能だろうか?真っ白な頭の中でも、「逃げなければ」という強い衝動だけが俺を突き動かしていた。 
俺は一気に部屋の外へ飛び出し、玄関へ駆け出した。

外へ出る瞬間、俺は無意識に振り返っていた。 
その時見た光景は…Bが…「Bと同じ姿をしたモノ達」にムシャムシャと食われている光景だった。 
Bはあの時見せた「満足げな表情」のままだった。 
俺は気が付くと病院のベッドに居た。道端で気絶しているところを運ばれたらしい。 
あの日から2日が経過していた。 
俺は入院の為会社を辞めた。全てを忘れたかった。全てが夢だったと思いたかった。 
上司や同僚には何も話せなかった。ただ、Bは居なかった…とだけ伝えた。 
Bの捜索願が出されたが、行方不明のままらしい。あれはBでは無いのか?警察はBの部屋を調べたはずだ。 
指紋のせいだろうか?俺も疑われたが、容疑は掛からなかった。 
退院し数年間はカウンセリングに通った。 
あの日の出来事は何だったのか?と落ち着いて考えられるようになっていた。 
何か知っていたら教えて欲しい。 
あの不気味な朽木と儀式?の様な痕跡、Bの変わり果てた姿。 
そして、あの「人間の形をした何か」と「Bと同じ姿をしたモノ達」は何だったのか? 
あれから5年も経つが、Bは未だに行方不明だ。